韓非子に学べ!微妙な変化とそれからの予測!
今日は朝から以前いつかどこかで聞いた韓非子の言葉を思い起こしています。
こんなことってありますよね?それは音楽だったり、誰かの言葉だったりと。
なにか頭の中を巡ってるんですよね。なーんでだろ?ロキソニンのせいか?
聖人は微を見て以て萌を知り、端を見て末を知る
せいじんはびみてもってほうをしり、たんをみてまつをしる
本当に優れた人物は、物事のわずかな変化や違和感を見逃さない。
細部を見ただけで物事の結末を予測してしまうような観察眼を養うことだ。
ちょっと調べたらこういう意味でした。これは何かの予兆だろうかな?
私は優れた人間でも何でもないけど、忘れてはいましたが以前からこの言葉を聞いてからというものなんだかそういうのを意識していました。
我々の日常は相応に変わるものではないですよね?その変わることがない日常定義がなんだか今日に限っておかしい。なにかが変わってる。何か違うぞ。って感じてしまう時があったりするんです。
その時「ただ何かが違うな~?」なんてことで漠然と終わらせるんじゃなくその後すぐに行動をしろ。たとえその変化が何かすぐにわからなくても。
もしわかってんのならそれを前提にさっさと最善策を予測しろ。
ってな教訓として頭に入れています。
君子危うきには近寄らず
なんてのも使い方によっては同じ意味じゃないですか?私はそう解釈しています。
例えば「(歩いていたら)前になにかいるぞ?・・・犬? ん? うへぇデカいぞ!しかもこっち見てるし、それに繋がれてないみたいだ。」このようなシチュエーションがあったとしたらコレって普通警戒しますよね?それにまず近づかない。
まぁこういうことです。
これからも大事にしていこっと(´∀`)y━・~~